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元亀2年(1571)長崎が始めて貿易港として開かれた頃、現在の浜口町、岩川町等の平地部分はまだ海水が入り込んた入り江でした。 このあたりが陸地となったのは享保15年(1730)、浦上村山里で新田開発が始まってからです。明治11年(1878)長崎県西彼杵郡浦上山里村里郷となり、明治31年(1898)に里郷の一部が長崎市に編入され、大正2年(1913)に町名が目覚町となりました。 町名は元々この地に目覚と呼ばれた小字名があったことから付けられました。 目覚町の由来は定かではありませんが、目覚町が古くから浦上街道の道筋にあたることから、長崎を朝早く出発した旅人がこの地に着く頃が夜明けを迎えた目覚の頃、あるいは旅人の眠気が覚めた頃だからという説があります。