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![]() デジタル回覧板よりご覧ください。(3/1更新) ![]() デジタル回覧板よりご覧ください。(2/1更新) ![]() ![]() デジタル回覧板よりご覧ください。(12/27更新) ![]() ![]() (11/30更新) ![]() 長崎市江平・山里地域包括支援センター主催のよろず介護教室(全3回講座)に参加しました。(11/18更新) ![]() ![]() ![]() (10/31更新) ![]() 「介護を始めたばかりで、右も左もわからない。」、「介護の仕方はこれで本当にいいの?」など、介護へのの不安解消のための「よろず介護教室」が11月6・11・18日に開催されます。詳しい内容はこちらから。 江平・山里地区包括支援センター(TEL:841-7770)からのお知らせです。 ![]() (9/30更新) ![]() ![]() 9月21日、午前8時半頃、緑町付近で脱走したとのことです。心当たりのある方は飼い主さんへ連絡をお願いします。連絡先は090-***-**** **さんまで。(9/24更新) ![]() ![]() ![]() (9/2更新)
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令和3年度、
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元亀2年(1571)長崎が始めて貿易港として開かれた頃、現在の浜口町、岩川町等の平地部分はまだ海水が入り込んた入り江でした。 このあたりが陸地となったのは享保15年(1730)、浦上村山里で新田開発が始まってからです。明治11年(1878)長崎県西彼杵郡浦上山里村里郷となり、明治31年(1898)に里郷の一部が長崎市に編入され、大正2年(1913)に町名が目覚町となりました。 町名は元々この地に目覚と呼ばれた小字名があったことから付けられました。 目覚町の由来は定かではありませんが、目覚町が古くから浦上街道の道筋にあたることから、長崎を朝早く出発した旅人がこの地に着く頃が夜明けを迎えた目覚の頃、あるいは旅人の眠気が覚めた頃だからという説があります。 |